浪人生、高校生のあなたに!!

登場人物:A:サルビアチ・進歩的科学者、B:シンプリチオ・古典的科学者(アリストテレス学派)C:サグレド・良識ある市民
          
           (「新科学対話」ガリレオ・ガリレイの3人の登場人物を無断借用)

B「ねえ!宝くじ買った?」       
                                         

C「うん、今どうしようか迷っているんだ。連番で買うか、ランダムで買うか」

B「それは連番がいいよ!だって1等前後賞で3億円だよ。」

C「うーん、それはそーだけど、ランダムの方がいろいろな当たりがありそーなのでそっちにしようかと迷っているんだ」

B「そもそも1等前後賞なんてなんであるの?」

A「それは、1枚だけ買う人より10枚連番で買う人を増やすための戦略だね!期待できる金額はいずれの場合も買った金額の50%(100円が50円になる)以下だからね」

C「サルビアチくんはどうして、いつもさめているの?夢がないんだから。」

A「夢というより趣味の問題だね。ぼくは宝くじを買わないけれど、人に買うなとは言わないよ。ギャンブルは嫌いだけど、ギャンブルが好きな人を好きかも。」

B「下1桁が当たると賞金300円だね。10枚連番で買うと必ず1枚当たるよ。」

C「うん!それは救いだね。全部はずれるのは悲しすぎるもの。」

A「確かに!でもランダムに買ってもどのクジも当たる確率は1/10だから期待値は変わらないよ。当たりが0枚だったり、1〜2あるいはそれ以上だったりバラツキがでるだけです。300円を3億円にしようというのだから恐らく10人に1人くらいは換金しない人がいると思う。だいたい、1枚300円で300円もらえるのを当たりくじと言ってよいのか?でも、その換金率の低さが主催者側のねらいかもしれませんね。」

B「もう全くサルビアチくんは理屈っぽいんだからぁ。そんなこと言ったらこのチラシだって、1万枚配って何人の方が読んでくれるか?ギャンブルみたいなものでしょう。」

A「うーん、痛いところをつかれたね。1/10はないね。1/100かな、いや、1/200くらいのような気がする。でも広報は大事だよ!大手予備校と違って私たちが伝える媒体はチラシとホームページだけなのですから。」

C「うわ!いやらしい!商売の話にいつの間にかなっている!」

A「ごめん。話を戻すけど、ギャンブルにはそもそも、射幸心をあおる為の計算しつくされた作為を私は感じている。競馬の三連単(1着、2着、3着を順番も含めて全て当てる)は、オッズは高いが期待値は全て同じで75%(100円が75円になる)です。それは配当金が高い商品を置くと、売上が伸びるという意味だけ。それでは最後に、ギャンブルで必ず勝つ方法を教えましょう。オッズが2倍のギャンブルがあるとする。1回目に100円、2回目に200円、3回目に400円と、2倍ずつカケ金を増やしていく。勝った時点でそのギャンブルを終了とすると、過去の負け金は全て回収できて、プラスに転ずる。数学的にはこれは正しい理論ですが、現実的には不可能です。そのカラクリはわかりますか?

C「うーん・・・そうか、掛け金が莫大になりすぎて勝つ前に破産する場合があるかなぁ。」

A「うん!さすが素晴らしい指摘ですネ。それは大きな理由の1つです。でも、もっと大きな問題があるのだが・・・。」

B「・・・・・・」

A「うん。それはネ、PとQが、そのギャンブルをしたとしますよ。負け続けているPの立場では上記の主張は正しいのですが、勝っているQの立場はどうなるのでしょうか。つまり、Qが先に止めるという可能性があるのです。すなわち、平等性にかけるという点です。物事を公平に見る視点は大事。その点で、この理論は致命的といえます。そういう意味では江戸時代からあったといわれる『勝ち逃げ禁止!』は、平等性を保つという意味で理にかなった考え方です。ただし、紀伊国屋文左衛門のような豪商(果てしないほどの大金持ち)と勝負したら、その相手は遅からず必ず破産しますね。

C「では、相手が公営ギャンブルの場合はどうですか?相手は止めないでしょう!!」

A「ドキッ。そうですネ・・・これは困りましたネ。では具体的に30回連続して負けて、31回目に勝つとしましょう。1回目に100円とすると、30回までに払う金額は100x(2の30乗−1)/(2−1)=1100億円です。これは、そのような馬券は買えないでしょう。ただし、それよりずっと前に個人の資産で破産するでしょう。

B「では、サルビアチの考えは、全てのギャンブルを禁止にしなさいと言っているのですか!」

A「そうではありません!!こづかい銭でやる分には、むしろゲーム感覚で楽しいでしょう!!でも、命を賭けてやってはダメでしょう。平等性という意味で、例えば我が家にかかってきた留守電は約半分が無言。だから、留守電機能は使いません。だって相手に対して失礼でしょう、話してもいないし伝言もしていないのに料金が掛かるなんて。むしろ、留守電機能に切り替わる前に『ただいま、先方は留守にしているようです。このまましばらくお待ちいただくと、留守電回線またはファックスに切り替わります。いずれかをお選びください』というのが、平等性を保つ人の道でしょう。金額の多少にかかわらず、人や社会を公平に見る視点をもつために『数学』は大きな力になっているように思います。